自分を甘やかしているから過食嘔吐が治らない?

摂食障害カウンセリング
中村綾子です。

食べれない自分って可哀そう
構ってもらえない自分って可哀そう

私って、なんて可哀そうなの。。。
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摂食障害真っ最中の頃、
私は、そう思っていました。

いつか誰かが助けてくれるような気がして。
いつか誰かが気づいてくれる気がして。

同じような想いでいる摂食障害の方が多いかもしれません。

今回のご質問をご紹介します。

*ブログ回答は、私の個人的な経験とカウンセリング方針に基づいています。
*全ての方に当てはまるとは限りませんので、予めご了承ください。

◆メルマガ読者さんからのご質問◆

私はやはり潜在的に自分を甘やかし、かわいそうだと思っているから、
過食嘔吐も摂食障害も治らないのでしょうか?

過食嘔吐が生活の一部になってしまっていますが、いつか抜け出せるときは来るのでしょうか?

ご質問をありがとうございます。

自分を甘やかしているか・甘やかしていないか、
可哀そうと思っているか、思っていないか、
どれくらい可哀そうと思っているかどうか・・・

この文章だけでは
こうした深い内容までは分からないです。

けれど・・・
違う視点から考えていくことは出来るかと思います。

以下の3つの視点、参考にしてみてください。

==================-

1.今、出来ることに取り組んでいますか?

2.摂食障害が治っていく人たち

3.治る人のウラ側

====================

1.今、出来ることに取り組んでいますか?

上記の通り、
甘えかもしれないし、甘えじゃないかもしれないし、
可哀そうと思っているかもしれないし、
思っていないかもしれないし、
思っているとしても、どれくらい思っているか・・・

分からないです。

けれど、大事なのは、「今、出来ること」に目を向けているかどうか、だと思います。

もし、人から、
「そんな甘えているから治らないんだよ!」と言われたら
甘えていることを認めて
甘えることを辞めて
治るのでしょうか?

もし、人から
「自分を可哀そうって思うのは間違っている」と指摘されたら、
間違いを訂正します!と宣言して
可哀そうと思わなくなるのででしょうか?

きっと・・・

そんな単純に心は変わらないし、
このやり方では、あなたの心はついていかないのではないでしょうか?

甘えであっても
甘えでなくても
どっちでもいいと思います。

甘えたい気持ちがあってもいいし
甘えずに早く自立したい気持ちがあってもいいし
可哀そうと思える気持ちがあってもいいし
思わない気持ちならそれでもいいし

どっちでもいいことではないでしょうか?

それよりも、今、あなたは何をしていますか?

治るために、「甘えた気持ちがあるか・無いか」という識別ばかりに
目が向いていませんか?

そこにエネルギーを費やしても
識別しても、白黒つけても
回復につながるものでしょうか?

私は、識別よりも、「今、できること」に目を向けることのほうが、
ずっとずっと大切だと思っています。

今、出来ることを見つけるために
今、治療者と出会う

分かってもらえるようになるために
今、言葉の選び方を変えてみる

将来への不安をムシするよりも
今、どうやって生きていきたいか真剣に考えてみる

いつまでに
何を
どれくらい・・・

回復も
将来設計の1つなのだから。

今、できることって、何でしょうか?

2.摂食障害が治っていく人たち

ブログには、卒業クライアント様の声をご紹介していますが・・・
卒業クライアント様たちが「甘えを辞めた」とか、
「自分に厳しくなった」とか書いていないですよね^^;;

むしろ、いい意味で自分に甘~くなっているのです。

食べたいって思う時に、
食べてもいいやぁ~

やること終わってないけど、
ま、明日やろう。

そんな感じです^^

だからといって、ダラダラ人間になったわけでもなく
人付き合いも、仕事や勉強もうまく回っていくのです。

なぜなら、
ラクに生きられるようになったから。

今の自分の状態を、自分で察して
今の自分の気持ちを、自分で理解して
今の気持ちに正直に動く

だから、穏やかな雰囲気があるし
穏やかな雰囲気だから周りにも、穏やかな空気があるんです。

過食嘔吐を厳しく制限したのではなく
過食嘔吐を禁止したのでもなく

ただ、「別にやらなくていいかなぁ」
「なんか、めんどくさいし」
「せっかく食べたんだし」

そんな気持ちで、
好きなものを食べて終わりになっていくのです。

禁止・ガマン・制限・・・etc.

これらだけで治るなら、
摂食障害はもっともっと単純な病気かもしれません。

でも、違うのです。
その証拠に、一時的に入院して特別な環境にいても
退院すればすぐに過食嘔吐に戻ることがよくあるのです。

3.治る人のウラ側

治っていく人たちが
最初からそんな穏やかだったわけではありません。

私も含め、
「治った」にたどり着くまでには、
ドロドロした道のりと
投げ出したくなる日々が必ずあるのです。

卒業クライアント様たちが、とてもよく言うのは・・・

「心と向き合うことが、1番しんどかった」

しんどいプロセスを経て
ラクになっていくのです。

しんどいから、向き合うことを辞めてしまう人と
しんどいけれど、続けていく人。

そこが大きな分かれ道ではないでしょうか?

私も辛かったです。

構ってほしい自分に気づいても
母は実家のことで忙しさがピークで。

やっと帰国した日本でゆっくりしたいのに
家の中はバタバタの最中で
自分の意思に反した引っ越しまであって。

構って
こっちを向いて
さびしいの

心理学を学んでいたこともあり、
自分のそうした気持ちには、早くから気づいていました。

気づいていても
伝えても
分かってもらえない

分かってもらえないのに
ちゃんと向き合ってほしいのに
でも、上手くいかない。

そんな壮絶なバトルが何年もあってのです。
時には、取っ組み合いになったこともあります。
それでも、分かってほしい私と分かってくれない母は、
きっとお互いに諦めることは無かったのだと思います。

治るってカンタンじゃないけれど、
不可能でもないこと。
母娘の向き合い方、こんな勘違いしていませんか?