摂食障害専門カウンセリング
中村綾子です。
摂食障害と「死にたい」という感情。
かなりデリケートな話題なので、書くことをずーっと迷っていました。
でも、多くのお母様から寄せられる声は
・娘がどうして「死にたい」というのか分かりません。
・摂食障害だと死にたくなるのですか?
・「死にたい」と言ったら病院に連れていくべきですか?
・どうしたら「死にたい」が無くなるのですか?
・家族は、その時なんて言ったらいいんでしょうか?
など、とても多くのギモンを抱え、お困りのお母様がとても多い印象です。
そして、相談しにくい話題だとも思います。
ネット検索したところでリアルな経験談も、あまり見つからないことと思います。
かなり迷いましたが、「書きにくいことを書く」ことこそ、このブログの意味があるのではないかと思いまして、今回取り上げます。
摂食障害だから「死にたい」になるのか?
まず、これはどちらが先か分からない問題です。摂食障害が先か、「死にたい」が先か。
「死にたい」という気持ち。
そこまででは無くても、自分に価値がないと思うからこそ、食べることがうまく行かなくなる場合は多々あります。
つまり、「死にたい」→ 摂食障害 という順番です。
一方で、摂食障害 → 「死にたい」 という順番も十分考えられます。
理由は、摂食障害は休憩がない病気だからです。
一般的には食べることは楽しみ・喜びです。
打ち上げと言えば、食。
お茶と言えば、ケーキ。
そんなふうに、人とのコミュニケーション上、食べることは多く利用されています。
だからこそ、
いつも食べることで悩み
外出するたびに、消費カロリーを考えたり
コンビニを目にすると、過食衝動が沸いたり
トイレに入るたびに体重測定する人もいます。
摂食障害に悩んでいた頃、私はハッキリとこう思いました。
摂食障害は、私に「休憩」をくれない。
ふつうなら、
勉強を一休みすることも、1日オフを取ることも自由です。
会社勤めなら、有給休暇を取ることもできます。
でも、「食べる」「カロリー」「誘惑」「衝動」から、休憩をとることは一切できないのです。
生きている以上、それらから休憩できないのだから、「死にたい」につながることはあります。
「死にたい」が理解できないご家族へ
これはきっと、「死にたい」だけではなく、いろんな感情の共有がうまくいっていないことが表れているのかもしれません。
お嬢様にとっては
・ほめて欲しい時にほめてくれない
・一緒に居てほしい時に一緒に居てくれない
・そっとしておいて欲しい時にイロイロ言われる・・・etc.
と感じているかもしれません。
もちろん、親子であっても、「別の人」なので、100%分かりあえることは無いのかもしれません。
ですが・・・
ずーっと過去にさかのぼって、何十年もさかのぼって、考えてみてください。
いい成績を取ったから
表彰されたから
という条件付きではなく
お嬢様自身の心を、見ていましたか?
お嬢様の気持ちが理解できない、というご家族は多いですが・・・
摂食障害に気づいた後ではなく、摂食障害なんて考えもしなかったような時代まで振り返って、「関わり方」を見直していきましょう。
母の振り返り:娘が「死にたい」と言った時
母に聞いてみました。
シリーズの名前通りですが^^;;
受け取ったメールを、ほぼそのまま記載すると、以下の通りです。
「死にたい、死にたい」と綾子が言った時、なぜすぐに「死にたい」と口走るのか、分からない。
現実から逃げたいのだとは、想像出来るが、私なら死にたいとまでは、思わない。
どうにもならないことは理屈では分かっているが、なにか言うとなると、「死にたい、死にたい」と、「言わないで」と言ってまた綾子と喧嘩になるから、聞いても何も答えない、答えられない。
だから何もしない。
私は、こんな感じだったと思う。
実際は、その後の変化もあったのですが・・・ここは親子でちょっと食い違いがあったように感じました。今更ながらですが^^;;
「言う」ことで、自分のガス抜きをしていた話
上記の「その後の変化」とは、摂食障害の終盤になって通っていた病院では、これまでとちょっと違いまして、そこから変化があったように記憶しています。
時間と共に記憶がどんどん薄れてきているので、私も母も曖昧な部分はあります。
グチを吐く、ということと同じで、「死にたい」という気持ちも吐き出すことで、私はガス抜きになっていました。
例えば、
「死にたい」という気持ちが100あるとします。
「言う」ことで、100から、いくつか減っていきます。
残りが、99コかもしれないし、90コかもしれません。
でも、ほんのわずかでも、「言う」ことによって減らすことが出来ました。
摂食障害の初期~中盤に通っていた病院・クリニックでは、こうした「気持ち」を話して許される・受け止めてもらえることはありませんでした。
すぐ薬が増えたり
すぐ「認知のゆがみ」と言われたり
頭がおかしい者として扱われたり
入院の話が出たり・・・etc.
だから、「言うこと自体がタブー」でした。
でも、摂食障害の終盤に通っていた病院では、「その気持ちをどう立て直したの?」という問いかけが、いつもありました。
仮に、前日の夜9時にそういう気持ちになっても、翌日の診察予約に間に合うように、朝起きて、支度して、電車に乗って、歩いて、受付まで行って、待合室で待って、診察室へ。。。
というかなり沢山のプロセスがあって、「今日の診察」があるわけです。
そのため、「気持ち」をどうにかこうにか、やり過ごして、自分自身を保ってきたこと、そこに焦点を当ててくれた関わりだったと思っています。
多くの時は、気持ちを劇的に立て直したわけではなく、ずーっと苦しいまま時間が過ぎ、予約してあるから遅れちゃいけないというマジメ気質が先立ち、それはキッチリ行く、という流れだけでした。
けれど、「死にたいという気持ちがあっても、とりあえず生きていく・生きていけている自分」を確認する作業のように感じていました。
こうした病院でのやり取りを、帰宅後に母に話して、シブシブながらも「言うだけなら・・・」という対応に変わっていったように思います。
ただし、私自身が、「言うことで、気持ちのガス抜きになっている」と表現したのは、いつ頃だったのか、もしかしたらかなり後付けなのか、ちょっと記憶が曖昧です。スミマセン。
ご家族へ:感情と行動を分けて考えるススメ
これは、「死にたい」以外にもかなり使える方法です。
でも、ご家族の感情が先走って、お互いにキーキーしてしまう場合が多いようですが。。。
まず、感情と行動を分けて考える。
今は、よく分からなくても、とりあえず「分けるんだ!」という意識を持ってみてください。
上記の、私の通院の例でいえば、
感情:死にたい
行動:診察予約に、いつも通り行った
この例だと分かりやすいかもしれませんが、感情のまま行動しているわけではありませんよね。
だから、感情そのものを出すことはOKとして欲しいのです。
感情を出してもいい
言ってもいい
でも、言うだけにして。
そんなふうに、ご家族が「言うを許す」ことも、「行動は禁止」するために毅然とした態度を保ち続けることも、どちらもとてもとても大切なことです。
これは、現在のカウンセリングでも、私はクライアント様にハッキリとお伝えしていることです。
人への恨みつらみも
食べたくない気持ちも
太りたくない気持ちも
言ってもいい
思ってもいい
でも、実際に行動するのはぜったいダメ!!!
それを守らせること。
そこには信頼関係しかありません。
親子の信頼関係も大事
医師・カウンセラーとの信頼関係も大事。
摂食障害の回復には、そのどちらも大事なのです。