摂食障害専門カウンセリング
中村綾子です。
過食・過食嘔吐が長期化している場合、
「長期化」という言葉や、年数だけでは説明がつかないことが多々あります。
その中でも、大きな違いの1つは・・・
過食・過食嘔吐が習慣化している人
過食・過食嘔吐を衝動的にしている人
まずは、言葉を整理します。
■習慣化
「習慣化」とは、文字そのままの意味ですが、
過食・過食嘔吐が、毎日の習慣になっている状態です。
特別な出来事があっても・無くても、毎日毎日、ほぼ同じように過食・過食嘔吐をする状態。
金額も、ほぼ毎日同じ。
やり方も、ほぼ毎日同じ。
量も、ほぼ毎日同じ。
そうした「習慣化」した過食・過食嘔吐の人たちがいます。
■衝動的
便宜上、「衝動的」という言葉を用いましたが・・・
これは、「何かあった時に、過食・過食嘔吐に走る」という意味です。
嫌なことを言われた
自分がやったことが上手くいかなかった
思ったような評価をされなかった・・・etc.
過食・過食嘔吐の直前に何らかの出来事がある場合がほとんどです。
もちろん、この場合も【根っこ】には心の問題を抱えているのですが、何らかの出来事があった時だけ、心が爆発して「衝動的」に過食・過食嘔吐に走る人たちです。
・・・
私自身は、後者の「衝動的」でした。
正直に言えば、「習慣化」した過食・過食嘔吐の人たちがいることを、カウンセリングの仕事開始まで知りませんでした。
自分の回復経験だけではなく、カウンセリングで回復された方たちの道のりを振り返りながら、以下の3つについて考えていきます。
■過食・過食嘔吐。衝動的と習慣化
どちらが治りやすいか?
過食・過食嘔吐が習慣化した理由
習慣化した過食・過食嘔吐が治る過程とは
どちらが治りやすいか?
カウンセラーとしての経験上、お伝えするなら、「衝動的」のほうが早く治っていく印象があります。
早く治っていく理由は、以下の「習慣化した理由」とも重なりますが・・・
・出来事があった時だけの過食・過食嘔吐なので、実際の頻度が少ない
・習慣化するほど、過食・過食嘔吐の年数が長くない
・過食・過食嘔吐を「やってはいけないこと」という意識が高い
・過食・過食嘔吐が連日ではないので、毎日の過食・過食嘔吐よりは、身体へのダメージが減る
・「何らかの出来事」を振り返りやすい、立ち直りやすい・・・etc.
過食・過食嘔吐が習慣化した理由
過食・過食嘔吐に限らず、習慣を身に着けるまでかなり時間を要します。
習慣化してしまった理由を挙げると
・過食・過食嘔吐の治療を、長期間受けていない
・過食・過食嘔吐は、気持ち次第でいつでも辞められると思っている
・過食・過食嘔吐を、誰にも相談していない
・過食・過食嘔吐をずっと隠している
・過食・過食嘔吐を「今は必要なんだ」と肯定してしまっている
つまり、「時間」です。
一人だけで抱え込んでしまったり、隠してしまったり、「過食が必要なんだよ」と間違った情報を信じ続けてしまったり・・・
そんな「時間」が長い方に、「習慣化した過食・過食嘔吐」の方が多いようです。
習慣化した過食・過食嘔吐が治る過程とは
確かに、「衝動的な過食・過食嘔吐の人」のほうが治りやすいのかもしれません。
けれど、カウンセリングでは、回復された方の多くが「習慣化した過食・過食嘔吐」から「衝動的」に変わり、その後カウンセリングの卒業につながっていきます。
習慣になっているという「当たり前」を崩すこと。
「当たり前」を崩すために、「当たり前になっている自分」に気付くこと。
いつから、「当たり前」になったんだろう?
なんで、過食・過食嘔吐が「当たり前」なんだろう?
こうしたことを1つ1つ考えていくことが、実は近道なのです^^
過食・過食嘔吐が習慣化しているということは、
過食・過食嘔吐に関連する行動も習慣化しているはずです。
帰り道にスーパーで過食食材を買い込むのが「当たり前」だったり、
夜中一人の時間が「過食時間」になっていたり、
あのトイレで嘔吐するといった特定の場所が「当たり前」だったり・・・etc.
同時にご家族にとっても、
「今、あの子部屋に行った・・・」と気づくことが
過食嘔吐していることが「当たり前」になっている場合があります。
コンビニやスーパーで、過食材料を買い込むのは「当たり前」ではありません。
「当たり前」ではないことを、
「当たり前」にしていたこと。
これらを1つ1つ改めていくのです。
・・・
過食しても
過食嘔吐しても、
心の問題は何1つ解決していきません。
これも「当たり前」です。
一時的に現実逃避は出来るかもしれません。
ほんの一時、「満たされた感じ」があるかもしれません。
けれど、過食・過食嘔吐を続けること・続けてしまう自分に、ホントはどんどん虚しさが大きくなっているのではないでしょうか?
虚しさをやつ当たりしても解決しません。
虚しいと感じることも、過食・過食嘔吐という行動も、自分の「選択」という意識はありませんか?その選択を変えることが、心を変えていくチャンスでもあるのです。