生きていることがシンドイです:心と体の虚無感

摂食障害カウンセリング
中村綾子です。

摂食障害がむつかしい病気
理解できない病気と言われることがとても多いです。

その理由は、
心の問題について理解が及ばなかったり
食以上に、本人を苦しめていることに気付こうとしなかったり
「食べれば治る」という思い込みが捨てられなかったり・・・etc.
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理解が進まないたくさんの理由の中でも、
摂食障害に悩む方の多くが生きるか・死ぬかほど悩んでいるとは、
あまりにも知られていないことなのかもしれません。

今回のご質問をご紹介します。

*ブログ回答は、私の個人的な経験とカウンセリング方針に基づいています。
*全ての方に当てはまるとは限りませんので、予めご了承ください。

◆メルマガ読者さんからのご質問◆

今、過食嘔吐が止められず、1日3回以上トイレへと駆け込み
朝は決まったように筋トレ、1日おきにジョギングも毎日シンドイです。

それに加えて、生きてることに意味が見いだせず朝、目が覚めるのが苦痛です。
心と体の虚脱感が酷くて。。。

今、生きていることがとてつもなく辛くシンドイです。
中村さんは、そういう事ってなかったですか?
どうしてましたか?

ご質問をありがとうございます。

シンドイ最中に、こうしてご質問という形で、外に出してくださったんですよね。
それだけでも、意味のあることと思います。

私は決して、
「運動やめれば!?」とか、
「そんなの甘えだ!」なんて
いう気持ちはありません。

今、あなたがシンドイ想いを抱えながらも
吐くことも
運動することも
辞められないという生活が、そこにあるからです。

決して、身体にも心にもいいことではないけれど、
それは、充分、あなたも知っていることと思います。

そして、過食嘔吐や運動という目に見える行動を通して、
「生きる」ということをしているようにも感じます。

私にも、生きることがとてつもなく辛くシンドイ時期が
何年もありました。

生きることを辞めようと思ったことは数え切れません。
実際、そうした行動に出たことも
病院に運ばれたことも、何度もあります。

そして、助かったことを喜べず、
「助かった」けれど、どうしたらいいのか分からず、
「死ぬことすら出来ない自分」を責め続け、
生きていくということが、一層うまくいかなくなりました。

ご質問の「どうしたらいいか?」という問いに、
一言で答えられるほどの、技量を持ち合わせていません。

けれど、死にたくてたまらなかった時代の私も、
同じように答えを探し求めていました。

もしかしたら、文字でしかない言葉が、あなたの心にうまく届かず、
時には傷つけてしまうリスクも感じながらも、
なんらかのヒントになればと思い、書いていきたいと思います。

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1.今日という1日

2.「『死にたいなぁ』と思いながら70歳まで生きればいい」と言われた時

3.前向き思考の功罪

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1.今日という1日

このブログを目にする時まで、
あなたはちゃんと生きてきました。

生きたいようには
生きてこられなかったかもしれないけれど、
今、ここに生きているのです。

今生きている自分自身を恨んでいたり
自分自身がイヤでたまらなかったりするかもしれないけれど、

それでも、「今日という1日を生きている自分」を
ちゃんと認めてあげて欲しいのです。

ずーっと先まで生きていかなきゃいけないと思うと、
すごくシンドイですよね。

ずーっと先まで、どうやって生きていくんだろう?と考えると、
身動きとれないほどの辛さでいっぱいになるかもしれません。

そんなに辛いのだから、
今は、「今日という1日」だけを大切にしていきませんか?

今日があって、明日があって、明後日も来てしまう・・・と
不安になるかもしれないけれど、

今日という日が終わること
今日という日を、どうにか終えられる自分がいるのだから
あなたが、あなたの「生」を認めてあげませんか?

2.「『死にたいなぁ』と思いながら70歳まで生きればいい」と言われた時

私が死にたくて死にたくてたまらなかった時期、
通院先の主治医(精神科医)に言われました。

「『死にたいなぁ』と思いながら、70歳まで生きればいい」

当時の私は、
ただただムカついて
誰も分かってくれない!という気持ちばかりが募っていきました。

元々、うまくいっていなかった主治医と、
さらに上手くいかなくなった言葉だったと記憶しています。

けれど・・・

今振り返ると、その言葉は、
「死にたいという気持ちがあってもいい」という肯定的な意見にも感じられるのです。

「死にたい」という気持ち
「生きていたくない」という気持ち

これらは、あなたの心の中に確かにあるにも関わらず、
「こんなふうに思ってはいけない!」とさらに自分を責めてしまっていないでしょうか?

上記の主治医の元を去り、転々とした後、
別の主治医からは、いつもこんな問いかけがありました。

「その時、どうやって過ごしたの?」

死にたいと言えば、薬が増えたり
時には注射されたり
言うことすら許されない
感じることも否定されてきたはずなのに、

この主治医は、「どうにか乗り切ったこと」を
いつも誉めてくれました。

「死にたいという気持ち」を否定するのではなく
「死にたいという気持ちがあっても、どうにかやり過ごせた事実」は
誉められるべきことなのです。

その方法が何であってもいいと思います。

ゲームに熱中することであっても
TVを観続けることであっても
誰かに電話することであっても

「死にたい」という気持ちを
実行に移さないこと。

ただ、それだけで充分すばらしいのです。

私自身は、いろんなことを試してきました。

気持ちをノートに書き殴ったり
夜中に友達に電話したり
布団かぶって寝ていたり
ビジネスホテルに1人で泊まったり

キケンなものから、物理的に離れるということも
現実的な対応として、大事なことと思います。

今の気持ちを消そうとすると、
一層上手くいかないかもしれません。

消そうではなく、
そのうち消えていくものです。

消そうとするから
ますます大きくなるけれど、

消そうとしない
どうにかなっていくと信じて、じっとしていると、
なぜか、自然に消えていくものなのかもしれません。

3.前向き思考の功罪

摂食障害カウンセリングにお越しになるご本人以上に
母親カウンセリングで痛感することがあります。

前向きだけが、素晴らしいという考え方です。

私は、心から賛成することが出来ません。

前向きでいなければいけない
前向きにならなければいけない
前向きだけがイイこと・・・

という考え方こそ、とても窮屈な生き方なのではないでしょうか?

私は、ウツウツとする時期も
自分を守る術かもしれないと思っています。

周りからの関係を断ち
傷付く場面を最小限にして生活していくことは
時として、そうした生き方だけが、今のあなたを支えてくれている、とも言えるのではないでしょうか?

死にたいと思ってもいい。
でも、実行だけは絶対にしないでください。

生きている限り治る可能性はあります。本当に回復すると、こんなにラクになれるのですから。