摂食障害専門カウンセリング
中村綾子です。
多くの人がそうであるように、かつての私もまた母との関係にずっと悩んできた一人でした。
でも、摂食障害の原因にフタをし続けた時期も長かったです。
摂食障害の原因が分かっていても、それを掘り下げて向き合ってくれる治療者をみつけることは、ほとんどできませんでした。
治療者選びも、とても大切です。
解決するために、直接言う・言わないは、どちらでもいいことと思っています。
けれど、私自身はどうしても「直接言う」ことを選びたかったのです。
不登校時代から、長年抱えて来た親子のわだかまり。
それが、溶けた日。
今回は、私の個人的な話にお付き合いください。
・・・
母との話し合い日の時でした。
最初に母が言ってくれた言葉。
「あの時、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに怒られても、綾子を守るべきだった。」
「あの時のことが、こんなにも長くかかった拒食症につながってしまったことを思うと、どんなに人を敵に回しても、綾子を守るべきだった」
私は、ずっとこの言葉が欲しかったんです。
23年間、ずっと。
「あの時」とは、小学校4年生。
私が、いじめから登校拒否(不登校)になった時のことです。
「学校に行け」と、無理やり引っ張っていかれたり、時には、両親から殴られたりしていました。
当時のことを、これまでも、数え切れないほど母は謝ってくれていました。
けれど、今回が、これまでと大きく違ったことがあります。
それは、条件付きではないこと。
「今のように、学校に行かなくても、進級できるのなら、無理やり学校に行かせない」
私には、この言葉こそ、「母が変わっていない証拠」でした。
・今の制度になったから。
・出席日数ゼロでも、進級・卒業できるから。
そんな外側の変化でしか、母の対応は変わらないのだろうか。
もし、今でも出席日数が絶対の世の中であれば、私を同じように学校に行かせるのだろうか。
そうであれば、母自身、何も変わっていない。
小学校4年生の時に感じた、不安・見捨てられ感・悲しみ・孤独・・・etc.
それらが、私の中にある、自信の無さ・「自分なんて価値のない人間だ」と思い続ける気持ち・不安定感の根底にあるように、感じていました。
こうした気持ちは、摂食障害が回復してきた頃、少しずつ和らいでいきました。
けれど、完全には納得しきれていないため、事あるごとに、母とぶつかってきました。
だからこそ、ちゃんと向き合ってほしかったんです。
その場しのぎの回答ではなく、母自身が考え続けた上での結論を。
だから、私たちは決めました。
1ヶ月後に、もう1度話し合いをすることを。
そして、その日を迎えた時、母が最初に言ってくれたのが、冒頭の言葉です。
20年以上、私はこの言葉だけを待っていました。
心のシコリが溶けた、新しい記念日になりました。
その日は、本当にうれしくて、何度も涙を流しました。
心の中が、暖かいものに満たされていきました。
何をやっても、楽しくて。
何をやっても、笑えてきて。
じんわりと暖かく、
どっしりとした安心感。
ありがとう。
・・・
過去は変えられないけれど、もう1度捉えなおすことは出来る。
捉えなおし、言葉にしていくことで、心が変わる。
そう教えてくれました。
今のあなたは、摂食障害が治らないことだけに、焦っていないでしょうか?
向き合うことを、避けていないでしょうか?
感じることを、恐れていないでしょうか?
もう苦しむことを、卒業していきましょう。
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