完全休養で、私の摂食障害が劇的に回復に向かった話

摂食障害専門カウンセリング
中村綾子です。

摂食障害と休養。
4回シリーズでお届けしています!

■摂食障害と休養

1回目:私が休めなかった時代:やりたいことをやれば摂食障害は治ると思っていた
2回目:摂食障害で入院・休学しても、心が休めなかった時代
3回目:完全休養で、私の摂食障害が劇的に回復に向かった話
4回目:【番外編】休養しない・休養できない状況で摂食障害が治る人たち

繰り返しお伝えしていますが・・・

摂食障害は病気です。
病気ですから、休養は必須だと思っています。
身体だけではなく、心の休養です。

そして、今回は、休めなかった私が、完全休養できた理由と劇的に回復にむかっていった話です。

ずーーっと休めませんでした。

摂食障害と診断された時も、
入院していた時期も、
退院後に、休学していた時期も、
復学した後は、遅れを取り戻そうと必死で、予定をいっぱい詰め込んでいました。

大学院を辞めた後も、
「早く仕事しないといけない!」
「何かしないと自分が、自分でなくなってしまう」
「頑張っていない自分なんて、自分じゃない!」

そんな気負いのまま、ずーーっと摂食障害が続いていました。
摂食障害が続いた理由は、ずーーーっと休めなかったからです。

就職活動に明け暮れていた日々、身体の不調がずっと続いていました。

微熱
倦怠感
頭痛
味覚異常
リンパ腺の腫れ・・・etc.

あらゆる病気が疑われ、何度も何度もいろんな検査を受けました。

特に辛かったのは、味覚異常です。

何を食べても食べなくても「しょっぱい(塩辛い)」と感じるクチの中。
しょうゆが全く使えない食生活。
満足しない食生活と塩辛い口の中で、甘いものをいつも欲していました。

この頃、就職活動のための履歴書が書けなくなりました。

午後から面接だから、書こう。
ちゃんと書こう。

そう思って、どんなに気合いを入れて机に向かっても、身体はグッタリして書けないのです。
無理やり履歴書を埋めて、なんとか面接に行っても、グッタリ。

面接で真っ先に聞かれるのは「この1年、何していたんですか?」。

大学院を辞めてからの1年間を追及される質問。
塾でのアルバイトもプラスに評価されることよりも、「なんで正社員の仕事を探さなかったんですか?」と言われることのほうが多かったです。

面接を受けるたびに、心が折れていきました。。。。

就職活動を辞めたいという気持ちと、
やらなきゃ!という気持ち。

何度も何度も行ったり来たりする気持ち。

そんな中、母が言ってくれたのです。


「何もしないで、しばらく家に居たら」

母が吹っ切れてくれました。
それまでは、「就職できないなら結婚しろ」と言っていました。
でも、私よりも先に、心からふっ切れてくれたのです!

本当にラクになりました。

普通にならないといけない。
普通の生活をしないといけない。
普通に働かないといけない。

いつもいつも私を苦しめていた「普通」という価値観。
それは、不登校だった小学校4年までさかのぼります。

学校に行くのが普通。
だから、普通に行けれないのはダメ。

みんな学校に行っているのだから、
普通は学校に行くのだから。

そんな「普通に出来ない自分」に大きな劣等感と共に生きて来ました。
だから、「がむしゃらに頑張ること」でしから、「自分」というものを見いだせなかったのです。

でも、「普通でいること」を求める両親にとっては、私がやりたいと願ったこと(高校受験や留学)は、普通ではありませんでした。
だから、普通ではないことは、ダメ。

普通の上でも下でもいけない。
普通の中にいること。

言葉でハッキリと説明されたことはありませんが、私がずっと感じていた両親の価値観であり、苦しんできた価値観なのです。

そのため、20代後半の私に「何もしないで家にいる」ことを許可してくれたことは、とても大きな意味がありました。

普通に働けなくてもいい。
普通の20代が出来なくてもいい。
普通の子じゃなくても、それでいい。

そんな、どうしようもない自分だけれど、「家に居てもいい」と受け入れてくれた。
そう感じたのです。

だから、はじめて心が解放されました。

本当に休めました。
同時に、ずっと折り合いの悪かった親戚とも、和解していったのです。

・・・

完全休養の時期、ただゴロゴロして過ごしていました。
それが心地よかったです。

何かに焦ることも、焦らされることもなく。
何かを頑張ることも、頑張らないといけないという気持ちもなく。

心療内科と数々の検査の通院は続けていました。
その頃、身体の不調の検査が、ひと段落ついたタイミングでもありました。
身体のほうは、「グレーゾーン」という診断になり、とりあえず経過観察になりました。

ずっと苦しんで苦しんで、ただそれだけで人生を終えるより、「楽しい」ことをやりたい。

当時、身体の不調のために通っていた鍼灸の先生が教えてくれた「楽しいことは身体の巡りをよくする」。
この言葉も、大きな影響を受けました。

頑張ることより、楽しいこと。
そこで思いつき、カタチになったのが、パン教室という仕事でした。

もちろん、パン教室主宰という仕事は、失敗でした。
摂食障害が治っていない状態で、早すぎました。
早すぎるタイミングで、右も左も分からない「自営業という生き方」を開始してしまいました。

早すぎたので、やっぱり摂食障害の症状が再燃した時期でもあります。

けれど・・・
完全休養という時期があったからこそ、回復の階段が「一段あがった」のは、まぎれもない事実です。

ちゃんと休んで
ちゃんと解放されて
ちゃんと「頑張るだけの人生」をやめようと思えたから。

そう思えたから、初めて休むことが出来たのです。
完全休養ができた頃には、摂食障害と診断されてから5年ちかく経過していました。

・・・

勘違いされやすいところですが・・・
「完全休養しよう!」と思って、休養が始まったわけではありません。

そもそも、「完全休養」という単語自体、カウンセラーとしての活動を開始した後につけた「呼び名」に過ぎません。

どんな病院に通っても、
何人もの精神科医・心療内科医と会っても、
「休むことの大切さ」を誰も教えてくれませんでした。

身体だけの休養と心からの休養の違い。
身体だけ休んでも、心が休めていない状態。
休むことと、生き方を変えていくこと。

これらは、私が摂食障害に苦しみ続けた中でたどり着いた「摂食障害の治り方」なのです。

摂食障害が続いているあなたへ

摂食障害なのに、休むことをムシしていませんか?

薬だけを飲んで、イライラを抑えようとしたり、バタバタ動き続ける生活を続けながら、「とりあえず通院」だけを続けたり。

かつての私のように「やりたいことをやれば摂食障害は治る」と勘違いしたり・・・etc.

上手くいかない時こそ、シンプルに考えるのです。

風邪で熱が出たら、まず学校を休みましたよね?

欠席する。
とりあえず、欠席連絡をする。

欠席連絡をした時点では、いつ熱が下がるのか分からなかったはずです。
どんなふうに熱が下がっていくのかも分からなかったはずです。

でも、まずは欠席。
これが、スタートでしたよね?

欠席した日に、どんなふうに過ごすかより、「休まないと!」という意識が先に動いたはずです。

欠席した日に、どんなスケジュールで、何を食べて過ごすかを決めるのは、「欠席を決めた後」だったはずです。

風邪の時は、何の疑いもなく、「休む」を決めました。

摂食障害は、もっともっと大きな病気です。
だから、「休む」ことは、もっともっと当たり前なのです。

いつか治るのではなく、そのうち「治るきっかけ」が手に入るのではなく、何もしなければ、何も変わらないのです。

休むことは、1番大事な「治るための行動」なのです。

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