生まれて初めて摂食障害(拒食症)の診断を受けたクリニック。
そこから数えると、「通った」と言えるクリニック・病院は11ヶ所です。
摂食障害歴7年。
転院回数10回。
つまり・・・
1年も続かずに転院したことが何度もありました。
でも、「通院を辞めた時期」というのは、1度もありません。
通っていた病院を辞める前に、
すでに次の病院を見つけていたのです。
今回は、「通院を辞めなかった理由」についてお届けします。
■私が通院を辞めなかった3つ理由
(1)誰かに話を聴いてもらいたい
(2)摂食障害を自力で治すのはムリ
(3)薬を中断することの恐怖
(1)誰かに話を聴いてもらいたい
コレ、1番大きい理由かもしれません。
何度も書いていますが、摂食障害のことは、すべての友達に話していました。
なので、頻繁にメールや電話で摂食障害の悩みも
両親ともめた話も聴いてもらっていました。
でも、プロではないのです。
友達は友達。
摂食障害の発症前から心理学を学んできた私としては、
「ちゃんと学んだ人に話を聴いてもらいたい」という気持ちが、
とてもとても強くありました。
いろんな本を読んで
いろんな考え方に触れて
次の病院に行ったら、
ちゃんと話を聴いてくれるんじゃないか。
入院したら、24時間医療関係者が近くにいるのだから、
いつでも話を聴いてもらえるんじゃないか。
そんな淡い期待を抱いて転々と病院をかわっていました。
でも、「ちゃんと聴いてもらえる場所」という病院・クリニックに出会うことは、最後まで難しかったです。
(2)摂食障害を自力で治すのはムリ
コレも、かなり強く抱いていた気持ちです。
自分では治せない。
自分で治せないなら、ずーっと摂食障害なのかもしれない。
ずーっと摂食障害だったら、
仕事もできない。
仕事が出来ないなら、
ずーっと、この家にいないといけない。
留学で17歳から家を離れてきたこと。
留学先の欧米では、18歳の誕生日がとても大きな意味を持っていたこと。
高校卒業後は、完全に「大人」と扱われ、親からの援助は無いこと。
10代の頃に、日本の両親からハッキリ言われたことはありません。
でも、私の中では、留学経験で染みついた考え方が多くを占めていました。
そのため、「ずーっと実家にいる」という考え方にとても違和感がありました。
だから、「治らないと自活できない」。
カナダ時代の友人たちに「今も親に養ってもらっているなんて言えない」。
そんな気持ちがとても強くありました。
病院を続けたのも、
治るため、自活するため、だったと思います。
(3)薬を中断することの恐怖
摂食障害の過食がひどい時期、
それは、「眠れない」がひどい時期でもありました。
極端なマジメ気質だったようで・・・
休学中も
休日であっても、
「夜はちゃんと寝なければいけない」
本当にそう思っていました。
なので、一旦「眠れない!」となると、
「眠らなければいけない」と焦り、
焦るから、ますます眠れず・・・
眠れないから食べてしまう・・・という順番で、
過食が起こることが多かったです。
そのため、通院での多い訴えは「眠れない」でした。
睡眠薬・安定剤・抗うつ剤。。。。
*写真はイメージです。
多い時には、夕食後に10錠以上、就寝前に10錠以上が
処方され、その通りに服薬していました。
転院を繰り返すと、
それぞれの医師によって、薬への考え方が異なり、
ますます上手くいかない。。。
バラバラな考え方に、何が正しいのか分からなくなりました。
でも、1点だけ共通していたことがありました。
【薬は急に辞めてはいけない】
薬剤師さんからも言われました。
辞めると、一時的には良くなっても、
再び悪化する。
悪化した時は、これまでと同量では効かず、
もっと沢山の薬が必要になる。。。
繰り返し、繰り返し聞かされていました。
そのため、「薬を中断できない・してはいけない」ことも、
通院が辞められない理由になっていました。
・・・
7年という長い年月がかかりましたが、
治ったのは「治療の中断時期が1度も無いこと」が1つの理由だと思っています。
病院行きたくないから・・・と
勝手に通院を辞めてしまっていませんか?
先生と合わないから・・・と
ドタキャンしたり、行ったり行かなかったりになっていませんか?
病院でもカウンセリングでも「治るために続ける」は、同じです。
中断するたびに、回復は振り出しに戻ってしまいます。
上り坂を登っていく大玉は、手を放した瞬間に
地面に落ちてしまうのと同じです。
摂食障害の回復とは、大玉転がししながら上り坂をのぼっていくようなもの。
ちゃんと安定しないから、【再発】するのです。