摂食障害専門カウンセリング
中村綾子です。
あさイチ、ご覧になりましたか?
12月3日放送:特集「離れて暮らす親の介護」
介護の経験者の方に、いろんなお話を伺う場面、とても印象的な言葉がありました(私の記憶により、記載していますので、正確な言葉とは限りません)。
「だまし討ちなんて絶対できないから、
ある程度納得するまで、話し合うしかない」。
この男性は、熊本県に住むご両親を東京に呼び寄せた経験者の方でした。
ご両親がまだお元気な頃から、話し合いを重ね、ご両親と男性家族は、同じマンション内のちがう階に住むようになったといいます。
その話合いの期間は・・・
「1年かけて、話し合った」
東京に移り住んでからのリアルな生活がイメージできるように、
時間をかけて何度も話し合いをされたそうです。
そして、
1番大事なのは、よく対話すること
上記の言葉は、そのまま摂食障害のお嬢様との接し方として使えます。
「娘が病院に行かないんです・・・」とお悩みなら、
「だまし打ちなんて出来ない」ことを、忘れないでください。
「娘が、話を聴いてくれない」と思っていなら、
「1年かけて話し合う」ことを、意識してください。
「退院してから上手くいかない」なら、退院する前後に
「(家での)リアルな生活をイメージできるように話し合う」ことに取り組んでください。
そして・・・
お母様が高齢のご両親を介護する時期は、20代女子の摂食障害の時期とも、多くが重なります。
私は多くのお母様方に、現実として知っておいてほしい問題だと思っています。
我が家は・・・
両親は健在でしたが、
私が留学中から、祖父母の介護・施設入所・入院などがあり・・・
私が発症するころは、母が実家に頻繁に通っていました。
帰国したばかりの私は、その時期、とても寂しかったです。
そして、拒食症の発症。
決して、これだけが拒食症のすべての原因ではありませんが、
1つの引き金だったことは確かです。
さらに・・・
私が摂食障害の頃、
同居していた親戚のお世話がありました。
私自身は何もしていませんが、
母は、摂食障害の私への対応と、親戚への対応の板挟みになっていた時期でした。
私のほうに構ってもらえない辛さ。
板挟みになっている母を見ることの辛さ。
私自身が、決して「いい子」で生きてきたわけではありませんが、
必読書の本のタイトルそのものだと感じています。
救いたかったのです。
助けたかっただと思います。
そして、気づいて欲しかったのです。
私の拒食症の苦しみ以上に、
母自身が、苦しそうに実家と家を行ったり来たりして生活して、ヘトヘトになっていることに。。。
『子は親を救うために「心の病」になる』
こちらのブログ記事で、引用しています。
「摂食障害なのは娘だから、娘だけが変わればいいんでしょ!?」と思っているお母様こそ、ぜひオススメです。