摂食障害専門カウンセリング
中村綾子です。
7月末、3日間限定で実施しましたプレゼント企画です。
たくさんのご応募をありがとうございました!
ご応募いただきましたご質問の中から、私カウンセラー中村綾子がブログ上で回答していきます!
今後もプレゼント企画は、メルマガ限定で行っていきます。ご興味がある方はぜひメルマガをお読みくださいね。
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注意:
ブログ上での回答は、こちらの判断で言葉を補ったり質問の内容を一部修正したりしていることをあらかじめご了承ください。
また全ての摂食障害の方に当てはまるとは限りませんことも、併せてご了承ください。
◆メルマガ読者さまからのご質問
小四から摂食障害の娘がいます。
今年中学生になりました。
現在過食嘔吐1日2回です。
私が摂食障害の本やネットの記事を読んでいると、『お母さんは私の病気しか見てない。私のこと見てない』と泣きます。
親が病気を理解しようとする行為を、どんなお気持ちで見ていましたか?
ご質問をありがとうございます。
改めて、こちらのご質問を読ませていただきましたが、なかなか興味深いご質問だなぁと思い、取り上げることにしました。
私自身の経験談へのご質問だと思いますので、お嬢様の言葉への解説と経験談を併せて回答とさせていただきます。
「私の病気」と「私」のちがいとは?
記載してくださったお嬢様の言葉。
なかなか意味深い言葉ですよね。
「私の病気」と「私」
「私の病気」と「私」はちがう。
「私の病気」より、「私」をみてほしい。
この意味、深~~~く、考えてみたことはありますでしょうか?
一例として分かりやすいかと思いますので、体重を例にして解説させていただきます。
メール上でのご質問ですので、お嬢様のお体の状態と必ずしも一致しないことを、改めてご了承ください。
例えば、拒食症の入院。
体重が1kg増えるごとに自由がふえる(制限が解除される)というやり方があります。
体重が増える=いいこと
体重が増えない=よくないこと
でも、、、
心は??
「体重=自分」なの?
体重が自分の全てなの?
体重さえ増えれば、「気持ち」は見てくれないの???
入院中に、こうしたギモンをお持ちになった方も多いのではないでしょうか?
つまり、、、
体重ばかり見て
私の気持ちは見てくれていない。
というふうに感じてしまうのです。
その場合、
体重を増やさない行動に出たり
体重が増えることに一層恐怖が沸いたり
体重ばかりを見ている治療者に反抗的になったり
いろんな問題が生じやすいです。
例として、拒食症の入院の1つのやり方を取り上げましたが、何か感じるところはありますでしょうか?
もちろん私の推測ですが、お嬢様の言葉から「病気より私」を見てほしいと訴えているのではないでしょうか?
大抵の場合、病気=症状 と考えてしまいがちですが・・・
お嬢様のお考えでは(もしかしたら・・・ですが)、
病気=症状
心=私
ではないでしょうか?
ホントは目先の症状よりも、もっともっと深刻に悩んでいることは多岐にわたります。
でも悩んでることが、お嬢様自身も分からないほど深いこともありますし、分かっていても上手く言葉で表現できないこともありますし、また分かっていても言ってはいけないと思っていることもあります。
だからこそ、お嬢様もお母様も、専門家とつながって「深刻に悩んでいること」に根っこが見えてくるといいなぁと思っています。
我が家の場合1:摂食障害への理解ゼロ。
経験談もイロイロ書いていきたいと思います。
2つに分けて記載します。
まず・・・我が家は、摂食障害への理解はゼロと言えるかもしれません。。。
私はもともと心理学を勉強してきた人間ですので、自分が拒食症と診断されてから、ますます摂食障害に関する本を読み漁っていました。
本やDVDを購入して、両親に読むように伝えたことも沢山あります。
両親は「言われたから・・・」という姿勢で、一応、内容には触れてくれたものの、ホントに意味での理解はかなり乏しいです。
とりあえず、
・心の病気らしい
・いろんなことが重なって発症するものらしい
・すぐには治らないらしい
・体重だけ増えても治ったことにはならないらしい(退院後に、気づく・・・遅い)
などは、だんだん分かっていったように思います。
我が家の場合2:「うちの娘」という接し方に救われたこと
上記の通り、両親は摂食障害の理解がかなり乏しい状態でした。
すこーしずつ「だんだん理解していったこと」は増えていきましたが、両親には積極的に学ぶという姿勢はまったくありませんでした。
もちろん、同居していた身体の不自由な親戚のケアもありましたし、兄家族に子どもが出来たり、私が大学院を辞めたり、転院ばかりしたり・・・いろんなドタバタが常にあったのも、積極的になれなかった理由かもしれません。
*私的に、フォローコメントのつもり(笑)。
私が通っていた精神科・心療内科で、母もカウンセリングを受けたり、主治医と別枠で話したり・・・ということもありましたが、母としてはそれほど理解が進んだ手ごたえは無かったようです。
けれど・・・
我が家では、接し方にホントに一貫性があったと思います。
この一貫性とは、幼いころからずーっと同じ、という意味です。
幼いころか言われ続けてきたことは
(1)夜、暗いところを一人で歩くのはダメ
(2)食べながら遊ぶのはダメ(おやつは決まった時間に食べる)
という2つがありました。
鉄のルール、というより、かなり自然に身についていました。
中学時代に通っていた学習塾は、徒歩5分の距離でしたが、毎回父の車で送迎してもらっていました。
両親が何かで不在の時、兄が自転車を引きながら送ってくれた日も覚えています。
そして、誕生日会などでも、食べながら遊ぶことは激しく禁止されていましたので、よその子(私の友達)であっても母はハッキリ注意していました。
これらは、私が摂食障害になっても、ずーーーーーっと変わることがありませんでした。
変わらないことに、私がイラついて、母と喧嘩したのは数えきれないほどあります。
過食衝動であっても、夜中にコンビニに行くのは禁止。
食べたくてたまらなくても、歩きながら食べるのは禁止。
私は禁止されることに反発して、そういう母の世間体を気にする姿勢こそ、私を病気にさせたんだ・・・と言っていましたね。
たしかに、母は過剰ともいえるほど世間体を気にするタイプなので、それが苦しかったのは事実です。
でも上記の
(1)夜、暗いところを一人で歩くのはダメ
(2)食べながら遊んだらダメ(おやつは決まった時間に食べる)
という2つは、世間体というより「うちの娘への接し方」であったと思っています。
つまり、どんなに摂食障害の状態が激しくても、
摂食障害の娘ではなく、「うちの娘」として、ダメなことはダメ。
そういう姿勢であること、私がどんな状態であってもその姿勢はぜったいに変わらないことを、両親の態度から感じてきました。
当時は、嬉しいと感じることばかりでは無かったと思います。
でも、「変わらない姿勢」で居続けてくれたことは、実際はとても救われていたのです。
私が私であるということ。
どんな状態であっても、どんなに長く続いても「うちの娘」として見捨てられないこと。
なんとなく、本当になんとなく、そう感じるようになっていきました。
摂食障害という病気は、ご家族にとってはよくわからない・難しい病気と思えるかもしれません。
そして、いろんな情報に振り回されたり、時に洗脳されてしまったりする方も、少なくありません。
そのためにも、少しでも早い段階で、少しでも「正しい治り方」を身に着けてほしいと考えます。
私が摂食障害に悩んでいた時、1番求めていたのは「治った人に会うこと」でした。
でも、「自称、治った」という人に会うことはありましたが、私にとってはギモンの残る回復程度でした。
だからこそ、私は自分の欲しかったカウンセリングを回復した自分が作ろうと思い、今のカウンセリングをご提供しています。
摂食障害の経験者による、摂食障害専門カウンセリング。
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