【摂食障害と仕事】無職から、摂食障害専門カウンセラーへの道のり

摂食障害専門カウンセラー中村綾子です。

摂食障害のまま仕事が出来てしまう方もいますが、実は無理していたり合わない仕事を続けている場合が少なくありません。

摂食障害が続いているのが、その証拠ではないでしょうか。

そこで、摂食障害専門カウンセラーとして活動するまで、私自身があゆんできた道のりをご紹介します。

(1)大学院を中退

もともと、小学生の頃から臨床心理士をめざしていました。自分が不登校だった小学校4年生時代、わかってくれる人・寄り添ってくれる人がひとりもいなくて、とてもとても悲しかったです。

だからこそ、分かってくれる人がほしい。大人になったら分かってあげられる人になりたいと思ったのが、きっかけです。

その後、カナダでスクールカウンセラーを紹介されていた中日新聞を見て、「カナダに行ってスクールカウンセラーになる」という夢が芽生えました。

カナダ留学中にいろんな方向性について検討した上で、日本に帰国・大学院進学を決めました。

カナダから帰国して直後に、大学院入試を受けて入学し、あとは修士論文だけ…というところで大きな挫折がありました。修士論文が不合格(今から思えばアカハラ…とも思えますが)。

続けようと思っていましたが、摂食障害の悪化もあり、大学院を中退しました。

(2)無職

大学院を辞めてから、本当に辛かったです。

学生でもない、社会人でもない。何の価値も無い自分。みじめで、自暴自棄に陥り、ますます過食が悪化したり、不眠がほんとうにひどくなりました。

(3)就職活動に全敗

塾のアルバイトを経て、正社員の仕事につこうと就職活動を開始しました。大学院をやめて1年くらい経ったころでした。

しかし、全敗。

全国津々浦々、就職活動のために面接に出かけましたが、最終面接までいくことはあっても、採用にはならず…「履歴書の空白」が、どれほど悪影響があるのかを初めて知りました。

摂食障害は、まだ回復途中でしたが、「治っただけでは、生きていけない」「治っただけは、ただの人」ということを、はじめて実感しました。

(4)摂食障害からの自宅パン教室を主宰

まだ治りきっていない状態でしたが、「好きを仕事に!」というフレーズに影響を受けて、趣味だったパン作りを仕事にしようと思い立ちました。

無職だった頃に、ABCクッキングスタジオに習い事として通いライセンスを取っていたので、それを活かせるかなぁという気持もありました。

パン教室は楽しかったものの、ビジネス初心者で「開業の仕方」など学ばないまま始めてしまったので、「ひとりブラック化」した働き方でした。

心身共に疲弊して2年ちょっとで廃業しました。

(5)摂食障害専門カウンセリング開業

パン教室の頃、生徒さんから悩み相談を受けることが日常的にあり「カウンセラーを目指していた自分」が大いに刺激されました。

同時に、パン教室を完全に辞めると、過食も不眠もまったく無くなったのでした。

当時も通院を続けていましたが、とあるカウンセラーに摂食障害の相談した際、「もう治っているんじゃない!?」と言われたのを機に、自分の回復をはじめて知りました。

(この経験から、「治ったという基準」の必要性を痛感したので、継続コースの卒業基準という考え方に至りました)

摂食障害の最中、「治った人に会いたい」と切実に願ってきたので、治った自分がその役割を担おうと思い、摂食障害専門カウンセリングをはじめることを決めました。

パン教室の反省から、開業前からビジネスの勉強をすることを決めていたので、コンサル受講をしつつ相談しながら開業に至りました。

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今回は、摂食障害専門カウンセラーとしてのキャリアを中心にお届けしました。

拒食症からはじまっ摂食障害がどのように治っていったのかは、動画でまとめていますので、よろしければご覧ください。

⇒【動画】摂食障害の克服経験談