【摂食障害】私が1番辛かったこと。

カウンセラー中村綾子です。

摂食障害でツライ・・・という場面は、たくさんありますよね。

今、摂食障害真っ最中の方は、「何もかもツライ」という状況かもしれません。
「何もかもツライ」という時こそ、「何がツライのか」を細かく具体的に挙げてみることをオススメします。

私が1番辛かったことをお伝えする前に、私自身も細かく具体的に、「摂食障害時代に辛かったこと」を挙げてみます。

辛かった場面をイロイロ挙げてみます。

・摂食障害の入院
・体重が増えて止まらなくなって不安になったこと
・過食衝動がコントロールできない自分にゾッとしたこと
・就職活動に全敗したこと
・家族とケンカばかりだったこと
・過食のためのコンビニで、友達とバッタリ会ったこと
・下腹だけがポッコリ出てしまったこと
・顔が異様にむくんで、アンバランスな体型になったこと
・カロリーが頭から離れなくなったこと
・家族が摂食障害の辛さを分かってくれなかったこと
・着たい服が着れなくなったこと
・大学院時代に、偏見の目で見られていたこと・・・etc.

分類すると、以下の3つになるかと思います。

・体重が増えることがツライ
・家族が分かってくれずツライ
・周りの人(大学院・就活など)が分かってくれずツライ

それぞれについて、振り返って書いてみたいと思います。

体重が増えることがツライ

拒食症の低体重からふつうの体重になることもつらかったです。
でも、「ふつうの体重」になった後のほうがずっとつらかったです。

ふつうの体重なのに、元気じゃない自分。
ふつうの体重になっても、増え続ける体重。
ふつうの体重だから、「もう治った」と思われること。

見た目も嫌でしたが、実際の心の回復と見た目の体重が、全然一致しないことがとても辛かったdえす。

家族が分かってくれずツライ

これはずーっとありましたね。

どーしてウチの家族は分かってくれないんだろう?
どーしていつもケンカになってしまうんだろう?
どーして摂食障害を理解しようとしてくれないんだろう?

今から振り返れば、それなりに理解はしてくれていましたし、完全休養が許されたのも家族のおかげです。

でも、摂食障害の頃は、全然そんなふうに思えなくて、「こんな家だから治らない!」とよく言っていました。

周りの人(大学院・就活など)が分かってくれずツライ

今から思えば・・・ですが、私の「分かってほしい!」という期待が大きかったですね。。。

特に、大学院は臨床心理士を養成する場所だったので、同期も教授も、臨床心理士の卵か臨床心理士でした。

そんな環境だから、みんな理解があるはず・・・と思っていたので、そうではなかった時、とても辛かったです。

でも、これも現実!
そう思えたのは、摂食障害がホントに治った後でしたが。

また就職活動の時は、「こんなに頑張って治したんだから」という気持ちがありました。
これも、現在の摂食障害専門カウンセリングでお伝えしていますが・・・「ただ治った人」は、「ただの人」です。

そこを、当時の私は分からず、「キャリアのない中途採用」としての就職活動はとても難しく、全敗で幕を閉じたのでした。

ホントに1番つらかったことは、ちがう

摂食障害の頃、いろんな辛かったことを挙げてきました。

でも、ホントに1番辛かったことは、ちがいます。

理由は、

・体型は、ある意味自分次第だと分かっているから。
・家族・学校・就職活動で出会う人は、「ふつうの人」であり「一般人」と分かっているから。

でも、私は、自分の摂食障害のつらさを分かってほしくて、転々としてきた場所があります。

それが、摂食障害のために通院してきた数々の病院なのです。

次回のメルマガでは、私が摂食障害時代に1番辛かったことを、改めて深く掘り下げていきます。

今、誰も分かってくれない!と悩んでいる方こそ、ぜひお読みいただければと思います。
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