名古屋市・刈谷市
拒食症の母娘が笑顔になるカウンセリング
中村綾子です。
普段のカウンセリング場面でも、かなり頻繁に聞かれる質問があります。
「どうやって治ったんですか?」
これまで、7年の摂食障害歴を一言で表せる言葉が見つかりませんでした。
その時々で、小さなきっかけがあり、揺れ動きながら、少しずつ回復していったのが実際のところです。
けれど、先日、ようやく言葉が見つかりましたので、ご紹介します。
私が治った理由。
それは、母が諦めてくれたから。
一言でいうなら、これに尽きます。
「諦め」は、その時々で対象が異なります。
1.拒食時代
拒食時代も、「無理やり食べさせる」ことを、かなり早い段階で諦めてくれました。
もちろん、摂食障害という病気が、何が何だか分からない混乱時期はありました。
けれど、「無理やり食べさせて吐いたら、もったいない」。
「吐けば、胃や食道を傷めるだけ」という姿勢になっていったので、食べ物を強制されたことも、カロリーの話が出たこともありません。
2.入院で治ることの諦め
1ケ月の入院でも、多額の入院費と引きかえに、たった2kgの体重増加。
食べさせることしかしない治療に、母もがっかり。
「入院=摂食障害が治る」というこれまでの図式を、諦めることになっていきました。
3.転院ばかりが続いていたころ
以前の記事、「母と娘の摂食障害シリーズ」にも書いていますが、「本人が行きたくないなら、仕方ない」。
無理やり通わせされることがありませんでした。
当時の私には、通院しないという選択肢は思いつかなかったものの、治療に納得できないときは、即、転院していました。
4.治ることへの諦め
これが、最大の諦めでした。
「摂食障害が治る」というイメージが沸かないまま、何年も過ぎていきました。
その間には、大学院を辞め、ひきこもり状態だった時期もあります。
習い事だけで過ごしていた時期や、塾のアルバイトだけをしていた時期があります。
就職活動は全く上手く行かず、正社員への道が閉ざされた時、母は本当の意味で諦めてくれました。
その時、母が言ってくれた言葉があります。
「もうこのまま1年ちょっと待ってみよう。」
「何かが変わるかもしれない。変わらなかったら、その時考えよう。」
当時、私は28歳。
拒食症の診断を受けてから、4年半が過ぎていました。
母は、「(綾子が)30歳になるまで、待とう」と腹をくくったと言います。
その後、私は、本当にラクになりました。
治らなくてもいい。
働かなくてもいい。
それは、必死で生きていくことしか知らなかった私に、新たな価値観をプレゼントしてくれました。
楽しいこと
嬉しいこと
好きなこと
ただそれだけを求めて生きていく時間。
私も、今、ここで、生きていてもいいんだぁ。
食べることを否定し続けてきた自分。
太った自分が、嫌でたまらなかった自分。
何をしても・しなくても、もういいんだぁ。
・・・
だから、元気になっていきました。
少しずつ「楽しい日々」に近づいていきました。
そして、今、カウンセラーという立場で思います。
誰かに治ることを強制されなくても、あなたにはちゃんと治るチカラがある。
「治らない・・・」と絶望しても、「楽しい!」と笑顔がよみがる日が、必ず来る。
だから、大丈夫。
もう、1人で頑張る必要なんて無いんです。
2014年のあなたは、どんな笑顔を取り戻していきますか?
治るための新しいスタート。