【拒食】太りたいはずなのに心が拒否する

摂食障害カウンセリング
中村綾子です。

「痩せたいのに、食べたい!」という人がいる一方で、

「治りたいのに、食べれない!食べたくない」という人も大勢います。

拒食真っ最中の頃を振り返っても、まさにそんな葛藤の日々だったように感じています。

今回のご質問をご紹介します。

◆メルマガ読者さんからのご質問◆

太りたいと思ってるハズなのに、心が拒否します。

自分でも本当はどうしたいのか分からないです。
これって本当は治りたくないと思ってるのでしょうか?


*ブログでは、一般論と私の経験談の範囲で回答させていただきます。

ご質問をありがとうございます。

心と向き合うこと。
それは、身体のエネルギーも必要です。

ですが・・・

あまりに低体重だと、病院内であっても、カウンセリングの対象にならなかったり、考えがまとまらなくなってしまう場合があります。

今回は、以下の3つから考えていきます。

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1.拒否する心を見つめる?保留する?

2.「体重ではなく、心を診て欲しい」

3.あと何年、摂食障害をやりますか?

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1.拒否する心を見つめる?保留する?

体重に関わらず、過食症に悩む方でも同じように感じる場合がありますが・・・

拒食の場合は、こんな気持ちが強い印象です。

治るのも、治らないのも怖い

「治るのが怖い」っていう気持ちは、周りから否定されるかもしれません。
「ホントは治りたくない・・・」と言ったら、罵倒されるかもしれません。

でも私は、そんな気持ちであっても、それはそれでいいと思っています。

どんな気持ちも
今、感じているのだから
それでいい。

感じた上で、行動を選ぶこと。

「怖い」ことを、「怖い」ままにしておきますか?
「怖い」まま、保留にしたら、時が解決してくれるものでしょうか?

私は、「怖い」という気持ちを持ったままで、一歩を踏み出してほしいと思っています。

「怖い」。でも、今日1日だけ食べるものを変えてみる。
「怖い」。でも、今日1日だけ、いつもと違う食べ物を選んでみる。
「怖い」、でも、今日1日だけ、運動を辞めてみる。

ずーーーーっと頑張らなきゃと思うから、ますます心が辛くなるんです。

気持ちを張り詰めすぎて一歩も動けないよりも
もうちょっと気楽に、今日だけ変えてみたらいいのに。。。。

今日1日、ちょっとやってみませんか?

2.「体重ではなく、心を診て欲しい」

病院に行くと、体重測定。
「●キロになったら、入院だよ」

こんな会話が当たり前になって、体重!体重!体重!と洗脳されていませんか?

「もう自分で増やせないかも・・・」
「入院したら、心が楽になるかも・・・」

そんな安易に、入院を選ばないでいてください。

多くの入院は、まだまだ家で改善出来る余地があるタイミングだと感じています。。

摂食障害の入院生活は、ほぼ体重だけです。

体重ばかりの治療に嫌気がさして、逃げ出したり。
隠れて運動したり。
隠れて吐いたり。
センパイ患者から、脅されたり。

入院のウラ事情なんて、どんなに高価な本を読んでも書いていないですが・・・
精神科入院は、ホント色々な人たちが集まっている場所です。

でも・・そんな医療に反抗心を燃やして、こんなふうに言っていませんか?

「体重ではなく、心を診てほしい」

摂食障害だった私も、同じように言っていました。
「心を診てくれる医者探し」を何年もやりました。

けれど・・・

体重と心は、決して切り離せるものではありません。

完全な正比例もしていないけれど、
全く無関係でもありません。

だからこそ、役割分担なのです。

医師:身体
カウンセラー:心

1つの病院の中で、両方できる場合と
あなた自身で探さないといけない場合など、いろいろな違いはあるかもしれません。

摂食障害は心の病気だからこそ、
心の治療も、あなた自身で見つけてほしいなぁと思っています。

3.あと何年、摂食障害をやりますか?

「食べれなくて辛い」
「食べようとしているのに、気持ち悪くなる」
「胃がムカムカするから、食べれないんです」

摂食障害から引き起こされる症状もあります。
摂食障害より先に身体の症状が強く出る場合もあります。

けれど、あなたの中で、決めているでしょうか?

「あと何年、摂食障害でやり続けるか」を。

あなたの未来だから
あなたの人生だかから

摂食障害をいつまでやり続けるかも
いつ終えるかも、あなた自身で決められるのです。

焦り過ぎで上手くいかなくなることもあります。
焦って、無謀な計画をしてしまったり
焦るから、足元を見失う場合もあります。

ですが、「適切な焦り」は必要だと思っています。

何年も働けなくても
何年も入退院を繰り返しても
何年も友達付き合いが無くても
何年も食べられるものが制限されていても

それでも、「焦らなくていい」でしょうか?

人は永遠に生きていける動物ではありません。
出産を望むなら、卵子の老化も考える必要があります。

回復の勘違いとして、よくある言葉は、

「焦らなくなった」。

具体的に尋ねてみると、返ってくる言葉は・・・

「なんとなく、大丈夫かなぁ~と思って」
「まぁ、なんとかなるかなぁ」
「別に目標とか、そんなんじゃなくて」

一見、とても柔らかくなった印象を受けてしまいますが・・・
具体的な言葉が出ないまま、フワフワした世界で生きている印象があります。

多くの場合、現実逃避です。

具体的に「いつまで」「あと何年」を決める。
それが、現実的に妥当かどうか、第三者と検討する。

その上で、毎日の生活の中で出来ることを1つ1つ取り組んでいく。

そんな積み重ねの「結果」が、治るということではないでしょうか?