摂食障害専門カウンセリング
中村綾子です。
「治ったきかっけ」として、思い出すままにいくつかのブログ記事で書いていこうと思います。
ですが、注意していただきたいことがあります。
■「きっかけ」についての注意事項「きっかけ」とは、回復した後に気づいた出来事にすぎません。
回復した後、いろいろ振り返って考えると「実は、あの頃、気持ちが変わっていたよね・・・」と気づくのです。
ですから、「治るきかっけ探し」に夢中になってしまう方が多いのですが、
順番が逆ですので、くれぐれもご注意ください。
治ったきかっけとして思い出すのは、全身不調です。
「治ったきっかけ」でもありますし、「楽しいことをして生きていこう」という決断にもつながりました。
摂食障害発症から5年ほどたつ頃、何か月も全身不調が続きました。
・微熱
・全身の痛み
・リンパ節の腫れ
・味覚異常
・頭痛
・倦怠感・・・etc.
疑われた病気は、どれも深刻なものでした。
・リンパ腫
・膠原病
・リウマチ
・慢性疲労症候群
・線維筋痛症・・・etc.
大きい病院の中でも、いくつもの診療科を掛け持ちして受診していました。
・口腔外科
・血液内科
・膠原病内科・・・etc.
それぞれに検査があって、それぞれに異なる診察日があって、それぞれに主治医がいる。。。
病院通いだけでもすごいスケジュールになっていきました。
1ケ月以上、検査・通院の日々だったと記憶しています。
けれど・・・
疑われた病気は、すべて確定診断に至りませんでした。
異常はあるけれど、●●病とは言い切れない、という状態でした。
その時、ハッキリこう思ったことを覚えています。
このまま死ぬのは、イヤ。
その頃までの私は、信条ともいえるほど強く信じていたことがあります。
「苦しんで苦しんでこそ、ホントの成功がある」
けれど・・
何の病気か分からない
今は確定診断にならなくても、いつ発症するかもわからない。
発症したら長期入院・いつ死ぬか分からない・・・
摂食障害の頃は、ずーっと生きていることすべてを否定していました。
でも、この全身不調の頃、初めて「今、死ぬのはイヤ」とハッキリ思ったのです。
苦しんで苦しんで、それで病気になったら、私の人生は何だったんだろう?
病気になって、人生が終わったら、何も残らない。
だから。。。
楽しいことをしよう。
この時期が、完全休養と重なりました。
もちろん、母の理解があってこそでしたが、「楽しいことだけをする自分」を許すことが出来ました。
楽しんじゃいけないという思い込みから、
何もやっていなくても、「楽しい」を手にいれてもいい。
苦しみの先に楽しみがあるんじゃなくて、
楽しいだけでも、楽しいが先でもいい。。。。
そんな感覚を取り戻していった時期でした。
・・
苦しいばっかりで人生を終わりたくないという想いは、摂食障害から解放されたいという気持ちにもつながりました。
何かをやったから「食べていい」のではなく、
「食べたい」なら、食べてもいい。
楽しむことを許せるようになることは、
食べるという自分で自分に与えることが出来るようになること。
いろんなことがつながって
いろんなことがラクになっていきました。
ラクになったからこそ、両親への想いも変化したのです。