摂食障害カウンセリング
中村綾子です。
摂食障害が治るということ。
食べることに振り回されなくなったり
親子喧嘩が減ったり
仕事や学校が充実したり・・・
「治る」ことを通して、いろんな変化があります。
摂食障害に悩んでいる期間があまりにも長いと、
「変化」が「別世界」のように感じてしまうかもしれません。
お母様の立場の方からご質問いただきましたので、
ご紹介させていただきます。
*ブログ回答は、私の個人的な経験とカウンセリング方針に基づいています。
*全ての方に当てはまるとは限りませんので、予めご了承ください。
◆メルマガ読者さんからのご質問◆
摂食障害の娘が、「治って、すごいことをしないといけない」と思ったらどうしようと思うのです。
治って、平凡に生きていく道もあり、それで十分だということを忘れないで欲しいと思ってしまいます。
それもまた、価値観の押し付けかもしれませんが・・・。
ご質問をありがとうございます。
摂食障害の苦しみが無くなることは、
それ自体、「スゴイ」ことなのかもしれません。
ですが・・・
「治った」という日時がハッキリするものではなく、
「治りつつある過程」の中で、
イロイロなことが変わってくるのです。
それらは、「スゴイこと」とはちょっと異なるみたいです。
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1.治ると、人と比べない
2.治ると、「自分」になる
3.治ると、小さな楽しみを見つける
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1.治ると、人と比べない
元・拒食症で有名な方の1人に
フィギュアスケートの鈴木明子さんがいらっしゃいますよね。
治るとスゴイことをやっている方の1人として
映るかもしれません。
ですが、
多くの摂食障害の方は・・・
治ったからといって、スケートが出来るようになることもないし、
治ったから、世界中の人から称賛されることもありません。
これが当たり前なのです。
元々、スケートに力を注いでいたからこそ、
回復した後、再び、スケートに復帰された。
ただ、それだけなのではないでしょうか?
だからこそ、
「スゴイことをしないといけない」という気持ちは、
やっぱり、人との比較から生まれているのではないでしょうか?
あの人よりスゴイ
あの人よりデキル
あの人よりキレイ
あの人より細い
あの人より可愛い・・・etc.
これを続けてしまっている状態では、
心の回復とは言えないように感じます。
摂食障害が回復していくとき、
人と比べてばかりいた自分から
人と比べなくても大丈夫な自分が育っていくのです。
人と比べることがあっても、
自分の軸がゆらがないようになったり、
人と比べることがあっても、
「すごいね~!」と一緒に素直に喜べたり。
そんな変化、始まっていますか?
2.治ると、「自分」になる
上記で取り上げた鈴木明子さんの場合で言えば、
元々スケートが好きだったから
スケート選手としての復活があったのです。
あなたが、あなたで居られること。
それが、治るということなのです。
元々、スポーツをやっていたとしても、
あなたの心が無理していたり
現実逃避からの熱中であったり・・・。
その場合は、以前のスポーツに戻ることは、
ふたたびあなたを苦しめてしまうのかもしれません。
あなたが、本当にやりたいこと。
あなたが、ホントに好きなこと。
周りから認められても・認められなくても
周りから褒められても・誉められなくても
周りから評価されても・評価されなくても
それでも、あなた自身が、楽しく続けられること。
それが、「あなたが、あなたで居られる」ことなのではないでしょうか?
3.治ると、小さな楽しみを見つける
摂食障害が治っていく過程は、
「スゴイこと」とは、実は真逆かもしれません。
1つの大きなきっかけで
劇的な変化が期待できることは、ありません。
毎日だった過食嘔吐が、
急に翌日からゼロになることもありません。
怖くて仕方がなかった沢山の食べ物が
急に、「平気!」と食べられることでもありません。
すこーしずつ
感じるか・感じないか
よく分からないような小さな変化が起こっていき
その積み重ねで、自覚できるような変化があるのです。
そして、心が回復しているなら、
そんな「小さな変化」をしっかり認められるようになっています。
小さな変化でも、自分をちゃんと誉めてあげたり
小さな後退があっても、「大丈夫!」と思えたり
だから、「小さいことを大切にする心」が
育っていくはずなのです。
その結果・・・
日々の生活は、
「小さな楽しみ」がたくさん見つかります。
ちょっとキレイな花を見つけた
ちょっと天気がいい
そんな小さいけれど大切なこと。
その積み重ねが、
治りつつある心を満たしていくのです。
摂食障害が治っていくことは
特別を手放していくことです。
痩せという特別感が無くなります。
「摂食障害だから」と特別扱いされることもなくなります。
その生活自体に、快適さを見出せるようになっていくのです。
だから、特別なスゴイことをしたい!という欲求さえ
あまり感じられないのかもしれません。
特別ではなくても
スゴイと思われなくても
私は私。
そんなふうに、自分軸がハッキリとしていき過程こそ、
心の回復と言えるのではないでしょうか?