名古屋市・刈谷市
拒食症の母娘が笑顔になるカウンセリング
中村綾子です。
ふと振り返ると、摂食障害当時の気持ちとの『違い』を感じることがあります。
今回は、私自身のエピソードを振り返りながら、「母の言葉」「想い」をお届けしていきます。
歩きながらたべるのは止めて!
2006年秋、コンビニ過食が始まった頃、夜中や早朝に、抑えきれない過食衝動が襲ってきた。
食べたい!
どうなってもいい!
甘くて口の中で溶けていく時だけが、私の生活の中で、唯一の快感だった。
その一瞬の快感を欲して、真っ暗の中、コンビニに走っていた。
お店を出た直後、袋を引きちぎり、むさぼるように詰め込んでいた。
時に、お店の前で。
時に、歩きながら。
そんな私の姿に、母はがく然としていた。
歩きながら食べるのだけは、やめて!
食べたいなら買えばいい。
何を食べてもいい、沢山食べてもいい。
でも、歩きながら食べるのだけは、やめて。
・・・・
我が家では、幼い頃から当たり前でした。
おやつは、決まった時間に食べること。
遊びながら食べるのはダメ。
特に不満を感じたことなんて、1度もなかったんです。
電車の中やスーパーの中で食べるなんてありえないことでした。
他の子が食べていても、特に欲しいと思ったこともありませんでした。
ちょうど、日本人なら「はし&茶碗」でご飯を食べるのと同じくらい、私にとっては当たり前すぎる感覚でした。
けれど、私の過食が始まった時、母の言葉に反発しかありませんでした。
母に対する反抗。
世間体を優先する考え方への反抗。
当時は、文字通り取っ組み合いになっての大喧嘩。
「何も分かってくれない!」
「私より、世間体なんでしょ!」
数え切れないほどの取っ組み合いが繰り返されました。
母娘共々、ものすごく辛い時期でした。
でも、本当はそういう自分が嫌でした。
「当たり前」が当たり前でなくなってしまった自分も。
詰め込むように食べる自分も、目の色を変えてむさぼる自分も。
過食を繰り返すことで、増えていく体重も。
長い月日をかけて、試行錯誤していく中で、過食が少しずつ治まっていきました。
同時に、食べる量が減り、過食の頻度が減り、そして、「歩きながら食べる」ことにも終わりがきました。
・・・
それから何年も経った今、母の言葉に、全く違う想いがあります。
今は感謝しています。
あの時、母が言ってくれた言葉に。
それは、母が私を「病気」ではなく、「うちの子」としてみていてくれた証拠だから。
どんなに過食がひどくなっても、どんなに暴言を吐いていても、「うちの子」だから、しつけの基準が一切変わらなかったんです。
摂食障害が治っても・治らなくても、「うちの子」。
それが、母の「ありのままを受け止める姿勢」だったんだろうなぁと思います。
・・・
だからこそ、お母様方にお伝えしたいのです。
娘さんは摂食障害だから、何もかも許すことが、本当に愛情でしょうか?
受け止めることと、受け入れることには、違いがあるです。